2011/02/15

1930年代のスウェーデン史と映画史の絡みが面白い!

そんな気付きのきっかけを与えてくれたエッセイを紹介します。
(一部私自身の解釈も混じっています)

Wallenberg, Louise"Straight Heroes with Queer Inclinations: Male Film Stars in the Swedish 1930s" In Queering Representations of Straightness (2009)

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1910年代から20年代前半におけるスウェーデンの映画産業は欧米への輸出戦略に成功し、国際的な評価も高く、のちにスウェーデン映画史の黄金時代と呼ばれるようになりました。
ところが1920年中頃に差し掛かるとその成長に翳りが出始めました。スウェーデンを代表する監督だったシェストレム(Sjöström)やスティラー(Stiller)、また圧倒的な人気を誇っていた俳優のグレタ・ガルボ(Greta Garbo)やラース・ハンソン(Lars Hansson)をハリウッドに失ったことに加え、世界恐慌により失業者も急増し、スウェーデンの映画産業は衰退していったのです。


しかし1930年代中頃、トーキー(発声映画)が導入されると再び繁栄の時代が訪れました。とは言いつつも、20年代の映画が "quality" や "artistic" といった言葉で特徴付けられていたのに対し、30年代の映画は金儲けの手段という側面が目立っていたようです。

Wallenbergのエッセイの面白いところは、この時期ほどスウェーデン人男優が理想の男性像としてホモセクシャル/フェミニン風なイメージ(本文では"queer"という言葉も使用)を打ち出した時期はない、と主張している点です。そこには、30年代にスウェーデンがジェンダー問題にも関わる歴史的転換点を迎えたことと深い結びつきがありました。

1930年代はスウェーデンで社会民主党が台頭した時期であり、無階級社会の創造を主張すると同時に何よりも喫緊の課題であった人口減少に対応するため、「家族」に焦点を当てた施策が実行されていきました。(この時期に福祉国家の基盤が形成されます。)そこで理想の家族像(男性像)として、男性には積極的に家事を手伝うことが期待されましたが、結局のところ子供を産むのは女性であるがために男女の生物学的な違いが強調されてしまいました。結果、男女平等社会の実現以前に女性はある意味で神聖視される一方で、男性には一家を担う父親としての責務からより一層男らしさを求められるようになったのです。

そんな状況下でのメディア、特に映画の役割はどうだったのでしょうか。「家族」という単位を重要視する国の姿勢は様々なメディアを媒介して国民に広く伝播するようになり、その中で当然映画は例外ではありませんでした。健康な金髪の美男美女が結ばれて子供にも恵まれ幸せな家庭を築く、というような理想像を描いた(一部プロパガンダ的)作品が多く見られるようになったのです。

このように、国の掲げる家族の理想像を忠実に描いた映画では仕事・結婚・子育てをうまく両立する男らしい男性が描写された一方で、そのような理想像を疑問視するような形で映画のスクリーンに登場したのがホモセクシャル/フェミニン風な男性像でした。
関連引用:Desire for sexual differentiation and for steady gender and parental roles is not intrinsic to our characters, but something forced on them from outside.

Wallenbergは特に代表的な男優として、スウェーデン映画史に名を残すエスタ・エクマン(Gösta Ekman)を取り上げています。こんな人です:

 

当時の女性にとって彼のフェミニン的特徴は大変魅力的だったようで、「カサブランカ」で有名なイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)も以下の通り彼を大絶賛していました。
"I write this in a very expressive manner because I am so filled with him and I do want to remember everything he told me. ... Thank you God for your kindness in letting me getting to know him."

後者のイメージは国が決して望んでいるものではありませんでしたが、男性、そして特に女性の観客には理想的な男性像として非常に好意的に受け入れられました。国から押し付けられている理想像だけが正しいわけではなく、生き方に多様性があってもいいんだ、という気付きを与える役割があったのかもしれません。

しかし、決してホモセクシャル/フェミニン風な男性だからといって家庭を作ることに対して消極的ではなく、当時の映画で一般的だった【男性=積極的な主体/女性=消極的な客体】というジェンダーの二項対立を崩したことに大変大きな意味があったのでしょう…。
関連引用:...opened up for a larger cultural acceptance and acknowledging of queer masculinities broadening the otherwise rigid dichotomous spectra for genders and sexualities.

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1930年代のスウェーデン史・映画史を学ぶと同時に、現代のスウェーデン人男性にちょっとフェミニン的要素を感じるのは、こういった歴史があるからなのかも…?と面白い発見。

ちなみに先日Wallenberg氏の講義に参加しましたが、30年代はスウェーデンのナショナリズムが一番高まった時期だ、という側面も紹介していました。優生学(社会的介入による人間の遺伝形質の改良を提唱する社会哲学)が広まり、「不純物を取り除いて純潔なスウェーデン人の血を残そう」というような国家政策が取られるようになったとのこと。近々それについても紹介してみます。