2012/02/15

スウェーデンの広告業界がデジタル領域で世界の注目を集めている理由を探る:インタビュー#1 with CP+B Europe 前編

今、修士論文を書いています。スウェーデンの広告業界がデジタル領域で世界の注目を集めている理由を探ることが目的。人口900万人という小さな北欧の国の広告事情が世界的に注目されている理由って何なの?という素朴な疑問から、このテーマを選ぶことにしました。主な調査方法は、業界で働く人々への英語インタビューです。インタビュー方式を選んだ理由は三つ。

①部屋にこもりっきりになるのが嫌だから。
②スウェーデン語の文献が読めないから。
③楽しいし、刺激を受けるから。



しかし、4ヶ月間という超短期間で仕上げなければならないという過酷さ…。まぁそれは仕方ないとして、この論文、私がこうやってブログに書こうとしなければ、アカデミアという閉ざされた空間の中でしか共有されることはありません。別に物凄くクオリティの高いものを4ヶ月間で書けるとはこれっぽちも思っていませんが、研究過程及び修士論文の報告相手が教授とクラスメイトだけ、というのはなんだか寂しいし、勿体無い気がしまして…。(そもそも、みんな広告に興味があるわけではないですし。笑)

東大教授でメディア研究者の水越伸さんが、ある対談でこんなことを仰っていました:


「水越さんがやっているのは文系のメディア論ですね」とよく言われます。しかしふつう、文系の研究というのは物事を分析したり、文献を調べたりという作業が中心で、成果をもとに何かをデザインしたり、プロデュースしたりすることはほとんどありません。<中略>
僕はメディアの歴史の研究をやっているときから、それだけでは物足りないと思っていました。もし自分が何かおもしろい知見を得たのならば、現在の混沌としたメディア状況の中にそれを還元していきたい。僕の研究対象が古典文学なら別にそうは思わなかったでしょうが、いま研究中のインターネットも、テレビも、新聞も、僕の目の前にある。目前にある対象を研究するということは、ダイナミックな網の目の動きに僕自身が乗っているとも言えるわけです。


私のメディア文化研究という修士プログラムも正しくこんな感じです。そこで一番共感したのが、「もし自分が何かおもしろい知見を得たのならば、現在の混沌としたメディア状況の中にそれを還元していきたい。」という部分。私のちっぽけな研究を水越さんの研究と同レベルで語ろうとするなんて、とんでもなくおこがましい話ではありますが、私なりに、研究の過程で得た「おもしろい知見」というものをこの場で共有できればと思っています。日本の広告業界を見つめ直す材料になるかも?しれません。


前置きが長くなりましたが、おもしろい知見=業界人インタビューということで、ご本人の了解を得た上で、内容を(小出しで)ご紹介させて頂きます。


まず一人目は、ヨーテボリにあるクリスピン・ポーター・ボガスキー(CP+B Europe)のエグゼキュティブ・クリエイティブ・ディレクターであるグスタフ・マートナーさん。
32歳という若さでこのポジション!しかもVeckans Affärerというスウェーデンのビジネス週刊誌で先月発表されたトップタレントランキングの6位に選ばれた方。

そんな大物だということを全く知らず、たまたま知り合いに紹介されたので、まずはインタビューのアポイントを取るためにCP+Bの受付に電話をしました。すると秘書に回されたのですが(ていうか秘書がいるの‥!?という驚きがまずありまして)繋がらず、直接グスタフさんに繋げてくれました。一瞬にして拒絶されたらどうしよう…なんて不安に思っていたのですが、物凄く気さくな方でした。


「金曜日なら電話インタビュー大丈夫だよ!12時から1時はどう?1時から打ち合わせだからもし延びそうだったらまた2時から続きをやってもいいよ。3時にはまた会議なんだけどね。」


と明らかにちょー忙しいお方なのに、親切すぎる対応に感動しました。そんなグスタフさんの貴重なインタビューレポートです。



あなたの今の仕事内容を教えてください。

CP+Bでエグゼキュティブ・クリエイティブ・ディレクターをしているよ。エグゼキュティブ・クリエイティブ・ディレクターとは、クライアントに提出されるクリエイティブ(広告表現)全てに責任を持たなければいけない。日々クライアントと接触するのがクリエイティブ・ディレクターであったとしても、提案に関する責任を持つのは僕だ。そして、プランニングチームとクリエイティブチームの橋渡しをするのも、僕の仕事。まずプランナーが広告戦略を立てて、その中身を僕と相談する。その上でクリエイティブチームに作業に取り掛かってもらい、プランナーとの話し合い通りの表現が出来ているかどうかを僕がチェックするんだ。



前職はDaddyというウェブエージェンシー(グスタフさんは共同創業者でした)ですが、そもそもデジタルに興味を持ったきっかけは?

両親は広告業界とも技術職とも無縁の仕事に就いていたよ。母親は司書だったから、僕が興味のある分野の本はいつも母親が借りてきてくれた。父親は会社で経理をやっていた。彼はプログラマーでもなくコンピューター好きだったわけでもないが、自分の作業をコンピューターで処理させることには常に興味があった。実は90年代だった当時、企業の様々な作業プロセスがコンピューター処理されるようになっていったんだ。父親は自分の会社でそういうことに深く関わるようになって、それがきっかけで自宅にパーソナルコンピューターを持ち込んできてくれたんだ。僕がデジタルに興味を持ったのは、決して自ら計画していたことではなく、どちらかというと運だったんだよ。重要なポイントは、自宅にコンピューターがあったことと、母親が僕の好きな本を借りてきてくれたこと。この二つの組み合わせがあったことで、僕はコンピューターを使ったデザインやゲームに関する知識を得るようになったんだ。



「パソコンの使い過ぎはダメよ!」なんて注意されることはなかったんですか?

いや、両親は全く干渉してこなかったよ。コンピューターとデジタルデザインの勉強に関しては、独学だった。そもそもインターネットは90年代半ばではとても新しいものだった。だから学校で学ぶことはできなかったよ。自分で学ぶしか方法はなかった。両親の教育法は、「もし何か勉強したいことがあるなら、やりたいことがあるなら、それに関する本を読んで、まずはトライしてみなさい!」ということだったよ。



DaddyというウェブエージェンシーからCP+B Europeというフルサービスエージェンシーへの移動というのは、あなたにとって大きな変化だったのでは?(2009年にDaddyはCP+Bに買収されました)

(まだDaddyにいた頃)10年前は、デジタルはニッチなメディアだったけど、今はとても重要で、投資のバランスがデジタルの方向へシフトしてきている。まず優先すべきはデジタルを正しく使うこと。このパワーバランスのシフトのおかげで、Daddyにとって有利な状況が生まれた。デジタルが重要になればなるほど、僕たちのアイディアに対する影響力と責任がどんどん大きくなっていった。その時点で、僕らはステップアップする必要が出てきた。より多くの人が僕たちの発言に注目するようになって、実はCP+Bに買収される前から、僕たちはデジタル「だけ」ではない("beyond digital")インテグレーテッドなアイディア(様々なメディアの組み合わせ)を提供していたんだよ。

CP+Bに買収されてから一番の変化は、僕らが今まで分社化していた部署を全て一つのオフィスに統合しなきゃいけなかったこと。買収前のDaddyは「部署ごとに分社化するのが良い!」という考えだった。デジタルクリエイティブのアイディア出しだけをやる会社、デジタルデザインだけをやる会社、そしてプロダクションだけをやる会社と三つの会社があったんだ。各社が独自の文化、そして独自のビジネスモデルを持つことが最高のクオリティに繋がる、という風に僕たちは考えていた。けどCP+Bはそういう考えを持っていなかった。統合するのがベストだと思っていたんだ。どっちも重要な考え方だけど、僕たちにとっては統合することが大きな変化だった。この組織内の変化に慣れるまで1年くらいはかかったかな。

もう一つ、組織内の大きな変化があったのは大手バーガーチェーンのヨーロッパ市場を担当することになってから。イギリスとスペインのメディアも取り扱う必要がでてきたから、それぞれの国から人員を集めて、作業に取り掛かるためにこのクライアント独自のワークフローに順応しなければいけなかった。かなり大変だったけど、学ぶことが沢山あってとても良い経験になったよ。けどこのアカウントを落とした後、スペイン人などの専門人員をクビにしなきゃいけなくて、それも組織にとってもう一つの変化だった。

だから、たった二年間だけで、二つか三つくらいの組織内変化があったってことだね。


…とここで、まだインタビュー内容の三分の一ぐらいしか書けていないのですが、あまり長くなると飽きちゃうかもしれませんので…パート①はここまでにさせて頂きます。


グスタフさんの生い立ちの話は興味深いですよね。両親は子どもの進路にあまり首を突っ込まず、好きなことをやらせる、という放任主義の教育は、スウェーデンの家庭では決して珍しいことではないと思います。周りでもよく聞く話です。簡単に結論づけることはもちろんできませんが、デジタルに強い人材が多い(広告だけでなくITやゲーム業界においても)のは、未知の領域に突き進もうとする若者のチャレンジ精神を、多くの親が潰そうとしなかったからなのかも?「敷かれたレールの上を歩きなさい」的な上からのプレッシャーが無いからこそ、自由な道を選べる。けれどもその責任は自分で負いなさい
、ということなんでしょうかね。